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三曲合奏の由来

三種の楽器(地歌三味線、箏、胡弓)が合奏される由来は、もともとこれらがすべて当道座に属する盲人音楽家が扱う楽器であったからである。しかし演奏者は同じでも本来、三味線は地歌、箏は箏曲、胡弓は胡弓楽という、それぞれ別個の音楽として成立、存在していたので、江戸時代初期の芸術音楽の範囲において、異種の楽器が合奏されることはほとんどなかった。実際に現在でも、初期に作られた楽曲(本曲、または本手組ともいう)は、他の楽器を加えないことがほとんどである。ただしそれらの中で箏曲の「段もの」は後世三曲合奏が行なわれるようになった。
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三曲合奏に地歌曲が多い理由については、次のように考えられる。上方における三曲の音楽の中では、江戸時代中期になると箏曲が停滞し、旧作の演奏のみで新作は非常に少なくなる。その一方で、三味線はその音楽がますます発展し、次々と新しい形式が生み出され、後期にかけて日本音楽の主導権を握る楽器となった。こうして江戸時代中期以降、厖大な数の地歌三味線の新曲が次々と作られ、天保頃までの箏の発展は、主にそこに便乗し合奏する形で進んだ。胡弓は中期に興隆していくつか流派も生まれ、新作も作られた。特に尺八や笛から影響を受けた曲が生まれ、それが更に三味線(地歌)に取り入れられたりすることもあったが、江戸時代後期に入るとやはり地歌に便乗する面が強くなったといえる。なお尺八も中期に興隆したが、これは当道座の外の楽器であり、その音楽に三味線や箏が直接合奏することはなく、三曲合奏に参入する時も結局尺八が地歌、箏曲に便乗する形になった。

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2009年10月20日 02:02に投稿されたエントリーのページです。

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